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つみぐさ 令和4年6月号

目次

 1.大阪湾南部サイクリングマップのご紹介 その1
 2.漢字の義30 子(子供の子)偏
 3.暮らしミニ情報 ライフスタイルの革新者 渋沢栄一が生んだ衣食住 遊(あそぶ) その1
 4.一般の方のサポートいろいろ その2
 5.健康道場 50 水無月の京都
 6.私の小さな旅 その19 修学旅行 その2 阿蘇山から別府温泉へ
 7.編集後記

1.大阪南部サイクリングマップのご紹介 その1
(発行 大阪都市計画局、令和3年11月作成)

 大阪東部・北部に続き、今回から大阪湾南部の初級と中級、1コースずつをお届けします。

@ 【初級レベル】天下の台所を食い倒れ! 紀州街道サイクリング 
       由緒ある紀州街道を南下しながら食を満喫する初心者向けコース
距離 42.8km
  所要時間 2時間50分
  獲得標高(スタートからゴールまでのあがった高さの総計) 80m

  スタート地点(南海堺駅)→ 天ぷら「大吉(だいきち)」堺、この間、0.5km・2分
  天ぷら「大吉」堺 → 浜寺公園駅舎カフェスペース、この間、5.2km・20分
  浜寺公園駅舎カフェスペース → 岸和田競輪場内 サイクルピア岸和田クラブハウス
 カフェDeux roues、この間、8.5km・35分
  クラブハウス カフェDeux roues → 岸和田城、この間、3.3km・15分
  岸和田城 → ヨッシャ食堂、この間、7.9km・30分
  ヨッシャ食堂 → 道の駅みさき夢灯台、この間、16.4km・65分
  道の駅みさき夢灯台 → 南海みさき公園駅、この間、1.0km・4分

 かつて「天下の台所」として日本の食の中心であった大阪。その港町として栄えた堺をスタートし、和歌山へ続く紀州街道に沿って泉佐野港や岬町まで海に沿って南下していく。欲ばりサイクリストも食い倒れ間違いナシの初心者向けルートだ。
 
 アドバイザー サニーサイド松谷(まつや)サイクル 
        松谷 庄司 店長

天ぷら「大吉」堺
 住所 堺市堺区栄橋町(さかえばしちょう)2-4-28 堺魚市場内
 電話 072-223-8418
 時間 0時〜9時(火〜日)
 休み 月曜(日曜深夜)
 堺駅からアクセスが良く、歴史を感じさせる雰囲気の堺魚市場内のなかでも、常に行列の絶えない天ぷら有名店。目の前で揚げたての絶品天ぷらをお手頃な価格でいただける。深夜から朝までの営業となるので、朝イチのスタート地点として海鮮グルメを満喫!

浜寺公園駅舎 カフェスペース
 住所 堺市西区浜寺公園町(はまでらこうえんちょう)2-232
 電話 072-267-1230
 時間 10時〜16時
 休み 火曜
 東京駅丸の内駅舎の設計者として有名な建築家、辰野金吾博士が所属した建築事務所の設計によって、明治40年(1907年)に建設され、今もそのままの姿で保存されている駅舎だ。内部に併設されたカフェスペースで、ゆっくり流れる時間を楽しもう。

岸和田競輪場内 サイクルピア岸和田クラブハウス カフェDeux roues
住所 岸和田市春木若松町(はるきわかまつちょう)22-38
電話 072-457-7770
時間 9時〜17時
休み 火曜
現役の競輪選手からBMXライダーのキッズまで幅広く自転車を愛する人たちが集う。元競輪選手のシェフ特性、日替わりランチがオススメだ。ここを拠点に競輪バンク走行会やBMXパークなど、新たな自転車遊びも体験できるぞ。

ヨッシャ食堂
住所 泉佐野市大西1-13-14
電話 072-477-7213
時間 4時〜15時
休み 火曜
府道沿いというアクセスの良さとともに、地元のサイクリストにも愛される食堂。こちらを経営する地元鮮魚店が、店からほど近い泉佐野漁港から朝イチで仕入れた食材をふんだんに使用。刺身から煮物まで、幅広いメニューから自由に選べるので迷ってしまうこと間違いナシ。

A 【中級レベル】大阪南部の歴史と風土を体感 中級向け丘陵コース 
       港として栄えた海岸線と、緑豊かな丘陵地帯を一度に走破!
  距離 81.9km
  所要時間 6時間10分
  獲得標高(スタートからゴールまでのあがった高さの総計) 956m

  スタート地点(南海堺駅)→ 大仙陵古墳、この間、8.0km・30分
  大仙陵古墳 → 小谷城(こたにじょう)郷土館、この間、10.8km・45分
  小谷城郷土館 → ハーベストの丘 農産物直売所またきて菜(野菜の水菜の「菜」)、
 この間、4.2km・15分
 農産物直売所またきて菜 → 道の駅 奥河内くろまろの郷、この間、上り下り、12.8km・65分
  くろまろの郷 → 滝畑(たきはた)ダム、この間、上り、6.5km・45分
 滝畑ダム → 神於寺(こうのじ)、この間、下り、20.9km・95分
 神於寺 → 水間寺(みずまでら)、この間、3.4km・15分
 水間寺 → 泉州海鮮きんちゃく家、この間、13.1km・45分
 泉州海鮮きんちゃく家 → 南海岸和田駅、この間、2.2km・9分
 
 自転車の町・堺のルーツでもある歴史的な町並みにはじまり、のどかな田園風景から山岳コースに通じるゆるやかな丘まで、南大阪エリアの多彩な道を一度に走るベストコース。このコースを押さえておけば、そこから近辺の山岳や平地をコースに組み合わせて自分好みの難易度に変えることができる。
 
 アドバイザー ラビットストリート カンカンベイサイドモール 岸和田店 
        店舗統括部長 高岡 雅知(たかおかまさとも)さん
 堺市街のおすすめスポット
@ 鉄砲鍛冶屋敷町跡(内部非公開)
   堺市堺区北旅籠町西(きたはたごまちにし)1-3-22
A 堺市立町家歴史館山口家住宅
堺市堺区錦之町東(にしきのちょうひがし)1-2-31
電話 072-224-1155 
大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)
 住所 堺市堺区大仙町(だいせんちょう)
 かつて大阪の発展において、重要な拠点となった堺。そこには商人の町、刀・鉄砲鍛冶の町としての町並みが各所に残っているほか、世界遺産登録に向けた盛り上がりも見せる百舌鳥・古市古墳群など、自転車で走っているとその景色の変化を楽しむことができる。
(2019年7月6日、大阪初の世界遺産に登録された)

ハーベストの丘 農産物直売所またきて菜(野菜の水菜の「菜」)
 住所 堺市南区蜂ヶ峰寺(はちがみねじ)2036-1
 電話 072-296-9926
 時間 9時30分〜17時30分
 休み 水曜、12/31〜1/4
 観光農場として有名なハーベストの丘に隣接する農産物直売所は、新鮮な地元の食材目当てににぎわう立ち寄りスポット。こちらで外せないのは、濃厚な味わいを堪能できるソフトクリームで、これだけを目当てにくる人も多いという。
 
道の駅 奥河内くろまろの郷
 住所 河内長野市高向(たこう)1218-1
 電話 0721-56-9606
 時間 9時〜18時
 休み 年末年始
 幹線道路から少し奥に入った立地の道の駅ながら、河内長野産の木材を使用したサイクルラックも完備するなどサイクリングの休憩に最適の場所。レンタルeバイクもある。季節の果物をふんだんに使った名物あんパンなどグルメを楽しもう。ここから滝畑ダム方面へ激坂スポットも待ち構えているので、万全の体制で臨むこと。

泉州海鮮きんちゃく家
 住所 岸和田市地蔵浜町(じぞうはまちょう)7-1
 電話 072-436-3866
 時間 8時〜15時(平日)、5時〜15時(土日祝)
 休み 水曜
 丘陵地帯のアップダウンを終えて岸和田港まで出たなら、最後は大阪湾の豊かな海の幸を味わえる漁港メシで締めるのがオススメ。磯の香りが漂ってくるような新鮮さの名物生しらす丼は、たっぷり走ったあとの体が求める栄養も満点!ぺろりと食べてしまえるぞ。

                            このページの先頭へ


2.漢字の義 30 子(子供の子)偏
                         わこさん

1.子どもの右にカタカナのレ
   読みは、コウ・ク・はなはだ・あな
   意味は、あな・はなはだしきの義
   熟語は、孔子(コウシ) 中国春秋時代の魯の思想家
       
2.ウ冠に子
   読みは、ジ・アザ・アザナ・マス
   意味は、普通の呼び名、村の内にある更に狭き地名の称、略してアザという
   
3. 親孝行の孝
   読みは、コウコウ・コウ・キョウ
   意味は、両親を敬い、子としての道を尽くすこと
   熟語は、孝順(コウジュン) 親に、その意に従順であること

4. 子の下に皿
   読みは、ボウ・モウ・バン・マン・はじめ・かしら・おさ
   意味は、兄弟の序列で、最年長の人。転じてはじめのこと
   熟語は、孟冬(モウトウ) 冬のはじめ、陰暦10月
孟春(モウシュン) 春のはじめ、陰暦の正月
孟子(モウシ) 中国戦国時代の魯の思想家

5. 木の上にカタカナのノ、下に子
    読みは、キ・わかし・とき
    意味は、一年を四つに分けた春・夏・秋・冬。それぞれの時節
    熟語は、季節(キセツ) 一年を天候の特徴に応じて分けたときのそれぞれの区切り
         ?四季(シキ) 春・夏・秋・冬の四つの季節
         
 これらの漢字は講談社の大辞典より引用しました。

  
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3.暮らしミニ情報 ライフスタイルの革新者 渋沢栄一が生んだ衣食住 遊(あそぶ) その1
                         大滝 龍

 帽子、リボン、革靴、牛乳、ビール、庭付き一戸建て、ホテル、パーティー…。近代に入り芽生え、今や当たり前となったこれらのものや生活スタイルには共通点がある。1人の企業家が、その誕生に関わっていることだ。その名は渋沢栄一。「日本資本主義の父」と呼ばれ、社会事業家としても知られる渋沢の第3の顔とは――。

  洋風衣食、日本向けにアレンジ
 今年3月、東京家政大学博物館(東京・板橋区)の所蔵品に、近代服飾史の貴重な資料が加わった。10数冊の見本帳に貼られたリボンだ。分厚いものは1冊160ページあり、小さなサンプルは1ページに10点以上、大きなものだと同1点のリボンが丁寧に貼られている。
 無地など簡単な図案のものから、写真と見間違えそうな手の込んだ作品まで様々だ。明治から昭和の前半までのもので海外製と国産品がおよそ半々。「洋装の重要なアイテムであるリボンが国産化されていく様子がみてとれる」と同館の三友晶子(みともしょうこ)学芸員は語る。
 明治の半ば、東京谷中(やなか)に「国産初のリボン工場」である岩橋リボン製織所が創業した。ここに出資し組合員となって事業を後押ししたのが渋沢栄一だった。
 同社は買収などで何度か名前を変えながら1960年代までリボンを作り続けた。一時はリボンでは東洋1の大工場だったそうだ。
 2013年に建物が解体された際に長く眠っていた見本帳が発見され、廃棄寸前で地元の市民団体が保管することに。今春、落ち着き先を得た。なぜ渋沢がリボンを手掛けたのか。正式な記録はないが「帽子づくりに必要だったからでは」と保存に尽力した谷根千(やねせん)工房代表の山崎範子(やまざきのりこ)さんは考える。
 岩橋リボン設立の5年前、東京の小石川に渋沢の手で日本初の制帽会社とされる日本制帽が誕生。一旦解散するも1892年に東京帽子として再出発した。ブランド名は「TOKIO HAT(とうきょう はっと)」。 07年に洋傘やスカーフなどを手掛ける老舗、オーロラ(東京渋谷区)が職人や型を含め事業を引き継いだ。
 「日本は実は帽子大国なんです」と山本ゆうき(やまもとゆうき)商品統括部ブランドマーケティング第1部MDは語る。階級社会の欧州では、きちんとした帽子は限られた階級の物。しかし、日本では誰もが自由に楽しめる。その基盤を築いたのが東京帽子だったという。
 好奇心旺盛な渋沢が西洋ファッションに関心をもったのは20代の頃。徳川幕府の使節団の一員としてパリ万博に参加するため渡航した時だ。出発前に横浜でレストラン店員の制服だった燕尾服の古着を手に入れ、寄港地の香港でシャツもズボンもないまま上着だけで外出しようとして仲間に止められた、との逸話も残る。
 万博終了後も1年半ほど欧州で過ごす。本格的に洋装一式を整え、日本人男性にとって大切だったはずの髷(まげ)も切った。 送られてきた写真を見た妻は嘆いたと伝わる。以降、渋沢は1年を通し「ボーラーハット」と呼ばれる黒い紳士帽をかぶり、自ら生産にも乗り出した。「西洋人と日本人では骨格が違う。日本人の頭に合う帽子が必要だと考えたのでは」と山本さん。日本人に合う帽子というブランドコンセプトは今も受け継ぐ。
 今年はオーロラと、やはり渋沢が設立に関わった王子グループの王子ファイバートが協力し、「紙の糸で織った帽子」をTOKIO HATの新商品として発売した。麻の1種から作った紙を細く切り、よることで糸になる。軽く丈夫で風通しもいいという。この紙の糸を用いた素材で帽子を作る。紙の原料となる植物は地球環境に負荷をあまりかけないで育てる。「渋沢の教えに沿った、経済と倫理の両立を目指す新素材であり新事業」だと王子ファイバーの白石弘之(しらいしひろゆき)社長。
 20代の渋沢がパリへの船旅で初めて触れたのが洋食だった。本人の詳細な日記によれば肉やバターを美味しいと食べ、コーヒーについて「すこぶる胸中を爽やかにす」と記す。晩年になっても朝食はパンなど洋食だった。食の分野でも、やはり「西洋の生活スタイルの国産化」に挑む。
 「渋沢栄一のつくった牛乳」。渋沢の故郷、埼玉県深谷市(ふかやし)で、そんな案内を貼る店があった。並ぶのは市内の松村乳業が販売するガラス瓶入りや紙パックの牛乳だ。 
 1880年、箱根の仙石原(せんごくはら)に渋沢らの出資で牧場経営の耕牧舎(こうぼくしゃ)が設立された。毛布原料をねらい羊を飼うが行き詰まり牛に転向。バターなどが箱根の外国人観光客らにも喜ばれたという。東京にも生産・販売拠点を設け芥川龍之介の父親も働いた。乳製品では大手となったものの箱根の責任者が病死し事業は解体された。
 都内での事業の幹部の一人が故郷の深谷で始めたのが松村乳業で、現在の松村勝(まさる)社長が6代目にあたる。「渋沢栄一関連の会社ということでお問合せも増えている」という。基幹産業と異なり生活関連メーカーでは会社や事業がそのまま存続している例は少ない。生きたビジネスの中に渋沢の陰を見つけたい人が増えているようだ。 
(次号に続く)

 【渋沢栄一】
 1840年(天保11年)、現在の埼玉県深谷市の農家に生まれる。20代で、のちの水戸藩主、徳川昭武(とくがわあきたけ)に随行して渡欧。明治政府の大蔵省で勤務後、民間経済人に。日本初の銀行を立ち上げるなど、生涯約500企業の誕生に携わり、「日本の資本主義の父」と呼ばれる。1931年11月、91歳の生涯を閉じた。
(2021年5月28日付。日経新聞電子版より)

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4.一般の方のサポートいろいろ その2
                           かず

 前回は、近年単独で歩いている視覚障害者に対して声かけや案内など一般の方からサポートしていただける機会が増えてきたこと、我々も感謝しながらうまく対応していく必要があることなどを記した。
 今回からは、一般の方の実際の声かけやサポートの状況などについて記したいと思う。
 
   実際の声かけの状況と対応方法(我々が伝えている視覚障害者への声かけの方法)
 多くの視覚障害者団体や支援施設などでは、歩いている視覚障害者への声かけの方法について以下のように啓発している。
(1)いきなり視覚障害者の手や肘を持って案内するのでなく、まず必ず声をかけていただきたいこと
(2)声をかける先には「なにかお困りですか。よろしければお手伝いしましょうか」という言葉を推奨している
(3)声をかけた後、視覚障害者からサポートの申し出があってから始めていただきたいこと。また目的地まで案内するときは、可能な限り、視覚障害者が案内する方の肘や肩などを持つように促すこと
 などである。
 なぜ「なにかお困りですか。よろしければお手伝いしましょうか」という言葉を推奨しているかというと、「何かお困りですか」は、「ひょっとして困っていませんか」という状況を柔らかく肯定しているため、「困っています。では案内お願いします」と繋がり、サポートを依頼しやすい状況を促す言葉であるように思う。
 また「よろしければお手伝いしましょうか」は、「必要でなければ断ることもできますよ」という猶予も与えているように感じる。我々にとってはいろいろな選択肢も与えてくれるとともにやさしく聞こえる言葉である。
 ちなみに「困っているようですね、お手伝いしましょう」とすべて肯定されてしまった場合は、サポートが必要なくても断りにくい状況に陥ってしまう可能性がある。
 
 逆に「大丈夫ですか。良ければ案内しましょうか」と言われた場合は、大丈夫ということが肯定されてしまい、ほんとうにサポートが必要な場合は、まず困っているという状況を伝えてから依頼しなければならないため、つい「大丈夫ですよ」と断ってしまうことが起きかねない。

   実際の声かけの言葉は非常に多彩
 ここでは実際に歩いているときにどのような言葉で声かけが行われているのか、私の経験などを元にして記してみよう。
 以下に状況別の言葉と、対応方法を記したいと思う。

1.「大丈夫ですか。 わかりますか」
 これらは、関西では、声かけの言葉として非常に良く使われている。たぶんほとんどの方がこのように声をかけられた経験があると思う。家族や友人などがなにか困っていそうと感じたとき、日常的によく呼びかける言葉として使われている。
 我々の啓発では、「なにかお困りですか」という言葉を推奨しているが「お困りですか」と声をかけられたことは私もほとんどない。その理由としては、この言葉は、一般的には初対面の方に対してはほとんど使われていないこと。また困っていそうな方に「お困りですか」と聞くのは失礼に当たると思っている方が多いのかもしれない。
 対応方法
 「大丈夫ですか。わかりますか」と問いかけられたとき、特にサポートが必要でない場合には、きわめてスムーズに対応することができる。
【例】 
 サポートする側「大丈夫ですか」
 視覚障害者側「ありがとうございます。慣れている道なので大丈夫です」
という対応でよいと思う。
 しかしほんとうにサポートが必要なときは、上でも述べたように今困っていることとサポートが必要なことをわかりやすく伝えなければならない。コミュニケーションが苦手な方は、つい「大丈夫ですよ」と言ってしまう可能性が高い。ほんとうにサポートが必要なときはサポートしていただきたいということをしっかりと申し出る必要がある。
【例】
「大丈夫ですか」
「人が多いので、改札口まで案内をお願いします」
「わかりますか」
「ちょっと迷ってしまいました。コンビニの入り口まで案内お願いします」
など。

2.「案内しましょうか」「いっしょに行きましょうか」「肩を貸しましょうか」
  「どこか持たれますか」「手を引きましょうか」「お手伝いしましょうか」など
 これらは、目的地まで案内できますよということをアピールしている言葉である。
 我々の啓発では、「よろしければお手伝いしましょうか」という言葉を推奨している。理由は、視覚障害者へのサポートは、すべて道案内というわけではなく、電車やバスの時刻を教えてほしい、落ちたものを拾ってほしいなどの依頼もあるからである。
 しかし一般の方は、視覚障害者イコール道に迷いやすいので道案内が必要、と言うイメージを強く抱いているため、「お手伝いしましょうか」よりも「案内しましょうか」という言葉の方が声かけしやすいのではと思われる。また「肩貸しましょうか」などの言葉は、ある程度年配の方が使うようである。案内という言葉がすぐに出てこないのか、はたまた酔った人と歩くときに「肩貸しましょうか」と言っていたことが思い出されるのか?
 対応方法
  案内できますとアピールしているため、道案内のサポートが必要なときは対応は容易である。
【例】
 「案内しましょうか」
 「ありがとうございます。では階段を降りて改札口を出たところまで案内してください」など
 道案内以外のサポートを依頼するときは、依頼したい内容をわかりやすく伝え同意を得る必要がある。
【例】
 「いっしょに行きましょうか」
 「申し訳ありませんが案内でなく次の梅田行きの急行の時刻を教えていただきたいのですがよろしいでしょうか」など
 サポートが必要なく断りたいときは、状況をうまく説明して、声をかけてくれた方の行為を無駄にしないよう、また人格を傷つけないよう丁重に対応する必要がある
【例】
「案内しましょうか」
「ありがとうございます。この付近は毎日歩いていて慣れていますので大丈夫です。またどこかでお会いしたときは声をかけてくださいね」など

3.「どうされましたか」「どこに行かれますか」「どこに行きたいのですか」
 これも案内できるというアピールを表す言葉であるが、長時間立っていたり、同じ場所を行ったり来たりしていたり、ジグザグに歩いていたりなど、ひょっとして迷っているのではないかと判断されたときに良く声をかけていただける言葉である。わたしも、駅の改札などで友人との待ち合わせのため長時間立っているときや店の入り口を探すためにジグザグに歩いていて障害物に度々ぶつかっているときなどによくこの言葉で声をかけられる。
 対応方法
 待ち合わせなどのため立っている場合には、状況を説明する必要がある。
【例】
 「どうされましたか」
 「ここで人と待ち合わせをしています。大丈夫ですよ」など
 店の入り口などを探すためジグザグに歩いているときなどに声をかけられた場合は、ためらわずサポートを依頼しよう。なんとかして自分で探して道を覚えたいと思うこともあるかもしれないが、声をかけられた場合には、素直にサポートしてもらった方が良いだろう。
【例】
 「どこに行きたいのですか」
 「この近くにある喫茶店に行きたいのです。よろしければ入り口まで案内してください。」など
4.「行けますか」
 これもよく声をかけられる言葉で関西独特の表現である。「わかりますか」と同じような意味で使われる他、階段やエスカレーターを使うときや人が多いところを歩いているなど、やや危険かもしれないと判断されたときなどでも使われる。また視覚障害者側から目的地を尋ねた際にも良く使われる。これは案内しなくても本当に一人で行くことができるのか確認していただいているのかもしれない。
 対応方法 
「わかりますか」とほぼ同じような対応で良いと思う。サポートが必要なときは、必要であることをしっかり伝えよう。
【例】
 「もうすぐ階段ですよ」
 「ありがとうございます。ここを降ります」
 「行けますか」
 「大丈夫です」など
 「すいません。近くにコンビニはありますか」
 「次の信号を少し行ったところにあります」
 「ありがとうございました」
 「行けますか」
 「入り口まで案内していただけませんか」など
 
5.「あぶないですよ」「もうすぐ階段ですよ」「右側に自転車がありますよ」「信号が赤ですよ」
「信号が青になりましたよ」「車道を歩いていますよ」など
 これらは危険かもしれないと判断されたときに状況を伝えてくれている声かけである。
 対応方法
 この場合は、まずお礼を言ってから必ずいったん停止し、状況を確認する必要がある。少しでも危険かもしれないと思ったときは、安全な場所までの案内を依頼した方が良いだろう。一人で歩けると判断した場合には、白杖をいつもより前に出し、地面に擦らせながら左右に大きく振って障害物や階段などを確認しながらゆっくりと歩くことを心がけよう。
【例】
「あぶないですよ、車道を歩いていますよ」
「ありがとうございます。歩道まで案内してください」など
 また信号の色を教えていただけるのは本当に助かるので教えていただいたときには必ずお礼を言うことを心がけよう。

6. 「あぶない、止まりなさい」「ホームの端、落ちるよ」「赤信号、止まりなさい」
「車道の真ん中あぶない、もっと端を歩きなさい」など、大変きつい口調で指摘される場合
 このときは、危険が身に迫っている可能性が高い。ただちに安全を確保する必要がある。特にホームや道路上で大きな声で指摘されたときは相当危険な状況かもしれない。
 対応方法
 自分で判断して動かず、声をかけていただいた方や、その他の援助していただく方の指示に従い、早急に安全な場所に回避する必要がある。安全が確保できれば、必ずお礼を言うことを心がけよう。
 特に駅ホームや交差点などで「あぶない、止まれ」などの言葉が聞こえたときには、必ずすぐ停止し、指示に従うことが必要である。
 なお、歩いている視覚障害者に相当の危険が迫っているときの声かけとしては、「白い杖の方あぶない、止まってください」「白い杖の方線路に落ちます、止まってください」などという言葉を推奨している。
 しかし白い杖という言葉は、一般的にはあまり使われないので、省略されることが多いことを理解しておいた方が良いだろう。
 このように声をかけていただく言葉は、思ったよりも多種多様である。これらの状況を十分理解し、それぞれの声かけに対してうまくコミュニケーションを取り、サポートを依頼する場合も断る場合もお互いの気持ちを尊重し明るく丁寧に対応する必要がある。そして声をかけていただいたときには、短くても良いので、我々も言葉を返すことも大切である。声かけやサポートがきっかけで思わぬ人との交流が生まれるかもしれない。

 次回はサポート(おもに案内)の実情について記したいと思う。
                              このページの先頭へ

5.健康道場 50 水無月の京都
                         わこさん

◎雨降りて麗し(うるわし)
 水無月の京都
 6月、長雨の季節がやってきました。連日の雨でしとどに濡れた京都は、街の濃度をあげていつもより幻想的に。雨降りの名所や水辺、紫陽花、そんな今の季節しか見られない京の景色をご紹介します。

@雨音の響く神々しい庭園
 しとしと梅雨入り
 灰色の分厚い雲が空を覆い、ぽつりぽつりと雨が降り出しました。次第に雨脚を強めていきます。梅雨の季節がやってきました。篠突く雨は街も山も例外なく濡らしていきます。それは名所も同じです。平安京遷都千百年を記念して、建立された平安神宮の神苑は、社殿を取り囲むように4つの日本庭園を有しています。季節ごとの移ろいを見せてくれる庭園も今は雨の頃。広い池泉の水面に、模様のような小さな波紋が生まれては消えていきます。池泉にかかる橋殿(はしどの)が雨を受け、より厳かな雰囲気に。雨の日の平安神宮神苑は、水面を打つ雨粒の音や揺れる新緑の葉の奏でるそれが静かに響き渡り、神々しいまでの自然をよりいっそう強く感じられます。

A半年の無病息災を願って雨あがりに、祓う
 連日の雨がようやく上がって、久しぶりに太陽を覗かせました。梅雨の晴れ間を待っていたかのように、京の街のいたるところで月末の用意が進められています。
 6月30日は「夏越しの祓え」という神事が多くの神社で執り行われます。茅で編んだ茅の輪を数回くぐり、今年半年の間、知らず知らずのうちに身についた厄や穢れを祓い、残り半年の無病息災願う大切な年中行事です。
 学問の神様で知られる北野天満宮は、直径5mにもおよぶ京都最大級の大茅の輪が楼門にかけられ、訪れた人々の厄を祓っています。
 降り続く雨によって洗われた新緑の輝く清らかな街で、自分の身を清めて残りの日々を健やかに過ごしましょう。
*北野天満宮(史跡御土居(おどい)もみじ苑)
 住所:京都市上京区馬喰町(ばくろちょう)
 受付:9時〜16時
 入場料:大人500円

B雨の季節に歓喜する生き物たち
 水辺をひらり泳ぐ
 初夏の陽気と梅雨の湿気から涼を求めて水辺に足を伸ばしてみたくなるものです。水面を打つ雨音を楽しむもよし、束の間の晴れ間に澄んだ水辺を眺めるのもよし、この時期だけの楽しみが待っています。
 洛北・岩倉の地にある妙満寺(みょうまんじ)では、山門の入り口に大きな池を有しています。透き通った水面に浮かぶ睡蓮が美しい花を開かせています。その合間を縫うように泳ぐ鯉。まるで絵画のような風景です。
 京都の街の中心を流れる鴨川でも、愛らしい光景が見られます。
連日の雨で水嵩の上がった鴨川を、必死に泳ぐカルガモのヒナたちとそれを見守る親鳥。懸命な姿に思わず目を奪われます。
 水辺で暮らす彼らも待ちわびた長雨の季節なのでしょう。

*つつじ園
  訪れた人を出迎えてくれる山門のつつじ園の池。つつじや睡蓮など季節の花々が咲き誇る。

*妙満寺(みょうまんじ)
住所:京都市左京区岩倉幡枝町(いわくらはたえだちょう)91

月刊「茶の間」より引用しました。
                             このページの先頭へ

6.私の小さな旅 その19 修学旅行 その2 阿蘇山から別府温泉
                        今茨木童子

 三日目の朝、熊本市内のホテルを出発したバス3台は、東に向かって進みます。やまなみハイウェーは、阿蘇の外輪山からカルデラの中を東に進み、途中で右に曲がって、今も活発に活動をしている「中岳(なかだけ)」の駐車場を目指して登ります。途中にはのんびり放牧された牛や馬が草をのんびり食む「草千里」を車窓から眺めながら更に登りますと、左下に「米塚」と名付けられた米俵を横にしたような全て山牧草で覆われ、真ん中に帯のように柵で仕切られた小山が見えます。バスは中岳駐車場に着きました。個人で行ったのならば、当然ロープウェーに乗るのですが、そこは高校生の集団。先生の号令で、徒歩でがれきのような石ころの、道もない山肌を30分ほどで登り、噴火口の点在する頂上の広い平坦な所につきました。所々には避難シェルターがあります。活動中の第一火口の縁まで行ってすり鉢の底を覗いてみたのを、今でも覚えています。雨などで崩れた土砂で塞がれた火口底は、時折、ごぼっとガスによって土砂が吹き上げられているのが見えました。
 バスに戻って下山。再び、やまなみハイウェーに戻り東へ。東側の外輪山を登って飯田高原、九重の山並みを見ながら東に抜けると、優美な盆地と黒い岩峰が荒々しいが名前は優美な「由布岳」が目の前に広がってきました。別府の温泉を作り出している山、伽藍岳(がらんだけ)(硫黄山)、鶴見岳(つるみだけ)を見ながら別府の市街地に入り、地獄巡りをして別府湾沿いのホテルに入りました。
 次号は、日向灘を左に見ながらの宮崎県です。
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7.編集後記
                        上田 一裕

 今茨木童子さんの「私の小さな旅 その19」は、修学旅行 その2「阿蘇山から別府温泉」で、熊本から別府温泉までの修学旅行記です。かずさんの「一般の方のサポートいろいろ その2」は自らが白杖をたずさえて歩行しているかずさんの体験記です。
 どうぞご期待ください。
 夏に旬を迎える野菜に、キュウリがあります。ウリ科の一年草。瑞々しく、シャリシャリとした歯ごたえが魅力の野菜です。
 淡色野菜ですが、表皮のグリーンにはβカロテンが含まれています。抗発ガン作用や免疫賦活作用で知られていますが、その他にも体内でビタミンAに変換され、髪の健康維持や、視力維持、粘膜や皮膚の健康維持、そして、喉や肺など呼吸器系統を守る働きがあるといわれています。カリウムをたくさん含んでいるので、ナトリウム(塩分)を排泄する役割があり、高血圧に効果があります。また、利尿作用もあるので、体内の水分量を調節し、むくみの解消も効果的だということです。
 きゅうりには身体を冷やす働きがあると言われ、薬膳料理でも用いられます。暑い夏が旬なだけに、熱くほてった身体を冷ますのにきゅうりが役立つというわけです。
 長期予報によると、この夏は例年と比べて暑くなると言われています。旬の「きゅうり」を活用されてはいかがでしょうか。
 読者の皆様にはご自愛ください。 
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