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つみぐさ 令和5年12月号

目次

 1.漢字の義 36 さんずい偏
 2.暮らしミニ情報 日本の「すごい」を未来に 技術とデザインが出会う時
 3.この何年かで変化が起きそうなこと もう起きていること その3 コロナ禍以降の鉄道の変化 その1
 4.健康道場 56 京都御所
 5.私の小さな旅 その25 日帰りのバスツアー
 .大阪に関連すること いろいろ4
 7.編集後記

1.漢字の義 36 さんずい偏
                         わこさん

1 さんずい偏にうらなう(沾)
  読みは、テン・デン・セン・チョウ・うるおう・ひたす
  意味は、雨や霧、汗にて衣服・土地・山林シッポリとムラなく総体にうるおうこと
  熟語は、沾衣(センイ)ころもをむらすこと
      沾背(センバイ)背をぬらすこと
      沾衿(センキン)えりをうるおすこと

2 さんずい偏にハの下に口(沿)
  読みは、エン・そう・したがう
  意味は、流れに順い下ること、そいよること
  熟語は、沿川(エンセン)かわづたい
      沿海(エンカイ)陸の海に沿いたること。うみべ
      沿革(エンカク)うつりかわり
      沿線(エンセン)鉄道の線路やバスの路線、幹線道路などに沿った所
      沿道(エンドウ)道に沿った場所。みちばた

3 さんずい偏にあま(尼)
  読みは、デイ・テイ・ナイ・デツ・デチ・どろ
  意味は、川の名、滞る
  熟語は、泥工(デイコウ) 左官をいう
      泥沼(デイショウ)どろぬま、泥深きぬま
      泥道(デイドウ) ぬかるみのみち
      泥水(デイスイ) どろみず。花柳界のたとえ
      泥酔(デイスイ) わけがわからなくなるほど、ひどく酔うこと

4 さんずい偏に「おもに」(主人の「しゅ」)(注)
  読みは、チュウ・シュ・シュウ・そそぐ
  意味は、水を注ぐこと。廣くそそぐこと
  熟語は、注心(チュウシン)そのことに心をとむること
      注想(チュウソウ)おもいをかくること
      注進(チュウシン)事件を申しあぐること
      注意(チュウイ) 心を集中させて気をつけること。警戒すること
  
5 さんずい偏に民(市民の「みん」)(泯)
  読みは、ビン・ミン・ベン・メン・ほろぶ
  意味は、水ながるるさま
  熟語は、泯夷(ビンイ) ほろぼし平ぐること
      泯絶(ビンゼツ)ほろびたゆること
      泯滅(ビンメツ)ほろびなくなること、又 ほろぼしつくすこと
        
   これらの漢字は講談社の大辞典より引用しました。

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2.暮らしミニ情報 日本の「すごい」を未来に 技術とデザインが出会う
                         大滝 龍

 代名詞はカラフルなニット素材のバッグ。市松模様やボーダー柄、ニットの伸縮によって色が見え隠れする配色の効いた物も。買い物袋の形をしたものや、着物の帯から着想を得たコロンとしたフォルムなど、シンプルでありながら心くすぐるデザインだ。
 2018年にスタートした日本のブランド「LASTFRAME(らすと ふれーむ)」。国内のセレクトショップはもちろんのこと、イギリス、イタリア、アメリカ、中国、シンガポール、タイなど、世界中で愛され、売り上げの7割は海外で占める。
 思わず手に取りたくなる見た目だけではない。コンセプトは「世界最高レベルの日本の伝統技術を未来に継承する」。デザイナーの奥出 貴ノ洋(おくで たかのひろ)さんは、こう説明する。どれも日本の工場や職人から生み出される技術に裏打ちされたデザインなのだ。
 ニットバッグは奈良のニット工場で、国内に数台しかないという特殊な編み機を用いて製造している。たとえば市松模様のバッグは、本体はセーターでよく見るリブ編みで、柄は編地の中で糸を切り替えるインターシャという編み方を用いている。模様を編むには、糸を渡らせることで表に出す色を変えるジャガード編みもある。キャラクターの描かれた靴下などで、表と裏で見え方が異なることがあるだろう。一方、インターシャ編みは裏も同じ柄になり、生地は薄く柄もすっきり見える。
 繊細で高度な技術が必要とされ、バッグの人気が高まるにつれ、海外で模倣する業者もでてきたが「同じようにはできない」と奥出さんは言う。
 当初はマフラーを作ろうと考えていたというが、技術のつまった編地を見て職人と話すうちに、ものやデザインが決まった。「高い編みの技術で耐久性もすぐれており、デイリーに使える」。
 顧客に加え、スタッフからの人気も高いというセレクトショップの「STUDIOUS(すてゅでぃおす)」のウィメンズのバイヤー、和田瞳(わだひとみ)さんもこう話す。
 長年ファッション業界に身を置き、最近はフリーランスデザイナーとして国内外の人気ブランドでデザインを手掛けていた奥出さん。かつて勤めたアパレルメーカーに海外拠点があり「日本のことを好きな人が多いと感じていた。それなのに自分は、日本の文化やものづくりについて全然知らない」。
 世界に向けて発信するには強みになると感じてまわり始めたのが、地元の石川県の機屋だ。高い技術を有し、海外のハイブランドの商品を手掛けていることに驚く一方、多くは後継者不足に直面していた。「日本の職人の技術でつくられた物はものがいい。必然的に長く使える。それこそがサステナブルなのではないか。技術がなくなることは、持続可能ではないのでは」。流行を追うものづくりを続けてきたが「無駄なものを作り続けてきたのではないか」という思いさえよぎった。
 工場を巡る中で出会ったのが、1895年創業の小倉(おぐら)織物(小松市)だ。同社がこれまでに生産した織物を補完する部屋に入った時に「こんなにすごいものを作っているんだと高揚感に包まれた」と奥出さんは思い出す。
 縦糸と横糸を複雑に組み合わせて模様を織り出すシルクの「紋織物(もんおりもの)」を手掛けている。織物をよく見ると、一見刺?かに思える細やかな柄が、織で表現されている。社長の小倉久英(おぐらひさひで)さんは「後染めで洋装向けの幅の広い門織物を専門的につくる最後の一社だと思う」と話す。一帯は織物の産地だが、廃業や倒産で同業者は少なくなった。
 工場に足を運ぶと、目を凝らさなければ見えない髪の毛より細い糸を、職人が手の感触で操っていた。1970〜80年代製の織機(しょっき)に一本一本セットする縦糸は一万本にのぼり、ベテランの職人の手でも一日以上かかるそう。
 こうして織上がった布は、しなやかでとろけるような柔らかさ。向こうが透けて見えるほどに薄く模様を織り上げる「紋紗」は 「特に得意とするところ」と小倉さんは言う。海外のハイブランドやヨウジヤマモトなどデザイナーブランドからの注文も受けてきたが「今ではシルクを触ったことのない若い人も多い。奥出さんの完成で届けられれば」。
 ラストフレームのスカーフは、花をプリントした生地に蜂が織り込まれていたり、円状にドットのようにブランド名が織でデザインされていたり。横浜の工場でほどこされたプリントも目を引くが、その合間から美しい織りの柄が存在感を放つ。
 ファッションは「人を元気にしたり、心を動かしたりするもの。そうした理屈でない部分と、工場の技術をうまくミックスしたものをつくりたい」。こう奥出さんが言うように、私たち消費者と工場の技術を、デザインによって引き合わせてくれる。現在は小物類が中心だが、ゆくゆくはアパレルの展開も予定している。 
 奥出さんが好きだという工業デザイナーの柳 宗理(やなぎむねみち)が提唱する「デザイン10ヶ条」に、こんな文言がある。「伝統は創造のためにある」
 「過去から受け継がれてきたものを理解しないと新しいものはつくれない。心からそう思う」と奥出さん。ブランド名に用いた「LAST(らすと)」には「最後」や「続く」という意味がある。「日本の最後の職人の技術をフレームに収めてアイテムにし続ける」。奥出さんの生み出すものには、そんな思いがぎゅっと閉じ込められている。
 (2023年2月28日付)
 暮らしミニ情報(日経新聞電子版より)
 URL http://www.nikkei.com 

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3.この何年かで変化が起きそうなこと もう起きていること その3 コロナ禍以降の鉄道の変化 その1
                           かず

 今年の夏は、ほんとうに厳しい猛暑が続いた。今原稿を書いている9月下旬でも、30℃を越える残暑が続いている。
 「皆さんはこの異常気象をうまく乗り越えることができましたか。」
 私はバテてしまい、何もする気が起きなかった日が続いてしまった。
 この号が届く頃には、紅葉も終わって冬の足音が聞こえていると思う。
 5月からコロナ対策も大幅に緩和され、夏休みや秋の連休に久しぶりに列車に乗って帰省したり、旅行を楽しまれた方も多かったと思う。しかし久しぶりに鉄道を利用して、何か変わったことを感じなかっただろうか。
 「なんだか運賃が高くなっているなあ。」「有人のみどりの窓口が無くなっている。」「どうやって切符を買おうか。」「もう車内で弁当やアイスが買えないの。」などなど。
 特にコロナ禍以降鉄道を取り巻く環境が大きく変化している。我々利用者にとって良いこともあれば、不便になったと感じざるを得ないことも多い。今回は今起きている・これから起きようとしている鉄道の変化について、私たちがよく利用する場面について紹介したいと思う。まずは良い話から。

実用化を目指した実証実験
 1 クレジットカードでのタッチ決済
 これは「VISAカード」などのクレジットカードを改札機の読み取り機に直接タッチして、列車に乗降できるようにしようという実験である。大阪では、南海電鉄の一部の駅間と泉北高速鉄道の全駅で実験が行われている。日本では交通系ICカードが普及しているが、外国人観光客にとっては、これを使うにはハードルが高い。
 券売機での購入、必要に応じてのチャージ、帰国時の返却など。けっこう手間がかかる。キャッシュレスとはいっても購入とチャージには日本円が必要である。
 一方クレジットカードのタッチ決済では、タッチ決済に対応したカードであれば、何もすること無く、改札機にタッチするだけで乗降が可能である。チャージする必要もない。外国人観光客にとっては、圧倒的に便利になることが期待されている。もちろん私たちも使える。
 私も南海難波から堺の間で使ってみたが、使い方はICカードと全く同じである。しかし、ICカードに比べて、読み取り機にしっかりとタッチしなければならないことと、「ピピー」というまでの反応速度がかなり遅いことが気になった。また実証実験中のため、読み取り機は改札口に1カ所しか設置されていない。また、障がい者割引きや子ども運賃には非対応で、全て大人運賃のみで決裁される。
 来年の春からは、大阪メトロでも実験を始めるようである。
 このタッチ決済は海外では広く普及しており日本でも正式に採用する鉄道会社も増えつつある。大阪でも近いうちに正式に採用する会社も増えていくと思われる。

 2 顔認証改札
 これは、あらかじめ登録した顔の形を改札口のカメラで読み取って、個人を判別して、乗降できるようにしようという実験である。まさに顔が切符の替わりになるというものである。
 現在JR西日本の大阪駅(新しく開業したうめきたの改札)と新大阪駅東口改札に顔認証カメラが設置されている。実験に参加できるのは、大阪駅から新大阪駅間のICカード定期券を持っている方に限られている。参加するには、まずスマートフォンで専用のアプリを使って、顔を登録する。そしてICカード定期券の情報を登録するという手順である。来年の春からは、大阪メトロでも実験を始めるようである。
 これが実用化されると、改札口で定期入れなどを出してタッチすることなくまさに手ぶらで列車に乗れるようになる。大きな荷物を持っているときや、ベビーカーを押しているときなど楽である。車椅子利用者も負担が軽減される。しかし、我々視覚障がい者にとってはどうなのか、今のところよく解らないと言うのが現状である。いつ頃どういう形で導入されるかも未定であるが、2025年の大阪万博の際には、導入したいと大阪メトロでは考えているようである。

 3 様々なドア位置の列車に対応できるホームドア
 現在乗降客の多い駅などでのホームドアの設置が進められている。しかし、費用が膨大なことと、ドア位置やドアの数、1両の列車の長さが異なる路線も多いためで思うようには進んでいない。そういう中、JR西日本では、トップレベルの安全性を提供しつつ、ほぼすべてのドア位置にも対応できるホームドアを開発し、大阪駅の「うめきた21番乗り場」に設置して実験を続けている。
 このドアは、左右開き式でドアが天上近くまである「スクリーン式」と呼ばれるもので、一番安全性が高いと言われている。初期型のタイプが大阪メトロニュートラムにも設置されている。このドアの一番大きな特徴は、ドアの部分が左右に開くとともに、ドアを収納した部分も左右に動いて、様々なドア位置に対応する。
 私も4月の始め現地に行ってみたが、どういう動きをしていたのかは私の視力では、よく解らなかった。しかし、ホームの人たちは、列車が到着する度に歓声を上げていた。列車に乗る人よりも、このホームドアの動きを見学に来た人の方が多かったようである。ドアをすこし触ってみたが、ドアと収納する部分がすごく細かく区切られていた。収納部分は広告が表示できるようになっている。また点字などの表示は一切なかった。
 JR西日本の話によると、大広間のふすまを動かして、出入り口の場所や幅を調整するのをヒントにしたとのことである。
 現在はうめきたホームの21番乗り場(関西空港や白浜方面の特急がおもに停車するホーム)のみに設置されているが、実験の結果を判断して、うめきたの22番乗り場から24番乗り場への設置も検討するとのことである。
 このホームドアはすばらしいものではあるが、既存駅への設置は難しい。うめきたホーム以外今後どのように展開されていくのかはまだ未定である。
 皆さんもガイドヘルパーさんとうめきたホームを利用する機会があれば、このホームドアの動きを説明してもらってはいかがだろうか。

路線の延伸・開業
 2024年の3月には2路線が延伸・開業する。まずは、3月23日に北大阪急行の千里中央から箕面萱野(みのお かやの)間。これについては前号の記事で詳しく説明したが、まだ開業日が決まっていなかった。今回9月号発行の直前の8月26日に正式に発表された。
 3月16日には、北陸新幹線の金沢から敦賀(つるが)間が開業する。
 1975年の山陽新幹線岡山から博多間開業以来、新幹線の延伸は東京や九州・北海道など、関西からは遠く離れた場所であったが、今回は福井県と石川県という関西からも気軽に行ける場所での開業である。そのため、大阪や京都から福井・加賀温泉・金沢などへのアクセスが大きく変化する。
 今わかっていることは、大阪や京都から金沢まで走っている在来線の特急列車は、すべて福井県に入ったところの敦賀までの運転となり、速く行くには、敦賀で新幹線に乗り換えが必要になる。しかも、敦賀駅の新幹線ホームは約20m(ビルの7階分)くらいの高さにあるため、かなり長いエスカレーターやエレベーターでの移動が必要になる。
 特急料金も高くなる可能性もある。到達時間は、金沢までならある程度短縮されるようであるが、福井までとなると、乗り換え時間を含めるとほとんど変わらないのではとも言われている。正式な時刻表や料金などは12月の終わりくらいに発表されると思われる。
 便利になるのかかえって不便になるのか微妙なところである。
 次回は、ちょっと残念であるが、不便になっていること、懸念しなければならないことなどを紹介しよう。

(参考)
 南海電鉄ホームページ  https://www.nankai.co.jp/
 JR西日本ホームページ https://www.westjr.co.jp/
 大阪メトロホームページ https://www.osakametro.co.jp/

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4.健康道場 56 京都御所
                         わこさん

*京都御所3つの謎 年の瀬に歩いて発見!
 500年間天皇の住まいだった京都御所。そもそもどうしてこの場所に?
 実際に足を運んでみるとさまざまな謎を発見できます。
 3つの謎をテーマに、京都御所を歩いてみましょう!
 
謎1 天皇の住まいはなぜこの場所に?
 かつての平安京と現在の京都御所の位置関係を示しています。
 天皇の住まいである京都御所が都の中央ではなく北東の端にあるのはなんだか変だとは思いませんか?
 実は、天皇がもともと住まわれた平安京大内裏(ダイダイリ)は、現在よりも2キロ近く西、平安京の北端中央にあったのです。現在の御所の15〜16倍もの広さがあった大内裏。度重なる災害や火災により、焼亡と再建を繰り返してきたこと、敷地が広すぎて住みにくかったことなどが理由で、天皇が度々引っ越しを繰り返すことになりました。
 引っ越し先は、天皇の親戚にあたる有力貴族のお屋敷。これを里内裏(サトダイリ)といいます。この里内裏は平安京の東側、左京に偏っています。その理由は地形にあります。平安京の西側の右京は、川が氾濫しやすく住みにくい場所だったのです。そこで、引っ越し先は東側の左京へ。
 その数は、なんと約200回以上に上ります。
 元弘(ゲンコウ)元年(1331)、光厳(コウゲン)天皇が土御門東洞院殿(ツチミカドヒガシノトウインデン)で即位されて以来、この里内裏は皇居として、定着し、明治天皇まで約500年間、歴代天皇の住居とされるに至ります。
 かつて京都御所の周囲には、宮家や公家の屋敷が立ち並んでいましたが、東京奠都(テント)※以後、ほとんどが、天皇と一緒に東京へ引っ越したため、空家となります。屋敷は取り壊されて、整備され、現在は国民公園として、京都市民の憩いの場となっています。広大な京都御苑(ギョエン)の中央、白い築地塀(ツイジベイ)に囲まれた場所が京都御所で天皇の住居であった清涼殿(セイリョウデン)や御常御殿(オツネゴテン)のほか、重要な儀式を行った紫宸殿(シシンデン)、大名などと対面した小御所(コゴショ)、和歌の会などが行われたご学問所、さまざまな用途の建物が残されています。
 ※ 奠都(テント) 都を定めること。都を建設すること
 2016年より事前申し込み不要通年公開となり、誰でも無料で見学ができるようになりました。
 京都御所の職員による当日受付の無料ガイドツアーのほか、「まいまい京都」でもガイドツアーを開催しているので、ぜひ足を運んで、歴代天皇の暮らしぶりを身近に感じてみて下さい。
 
謎2 御所の正殿・紫宸殿(シシンデン)はどうしてこんな建築に?
 平安時代の寝殿造りを模していますがよく見ると細部が少し変わっています。京都御所の中でもっとも格式の高い正殿・紫宸殿をじっくり観察してみてください。何か違和感を感じませんか?
 紫宸殿は、古式にのっとり、平安時代の寝殿造り(シンデンヅクリ)を模した建物ですが、南庭(ナンテイ)から紫宸殿の正面を見たときの堂々とした姿は、平安の風情とはいえません。
 まず屋根が高すぎます。おまけに屋根を高くするために軒を支える組物(クミモノ)まで使われているのです。斜め下に突き出ている垂木(タルギ)は「尾垂木」(オタルギ)といい、寺社建築で使われるデザインです。床も高く、柱の下には礎盤(ソバン)が入っており、これも禅宗寺院の建築様式。このように、紫宸殿には寝殿造りにはなかった細部意匠が使われています。
 なぜ平安時代の住居とお寺が混ざった奇妙な建築になったのでしょう?それは、紫宸殿が再建される際、平安時代への復古を試みたのにも関わらず、わからない箇所は当時の技術を使ったからなのです。京都御所は近世に入って九度の造営が行われ、その時の流行や権力者の意向が取り入れられてきました。寛政年間の造営の際(1790年)、ときの光格(コウカク)天皇は、近世の天皇の中でもひときわ皇統(天皇の血統のこと)意識が強い方でした。応仁の乱以降、中絶したり、簡略化されたりしていた朝廷の神事・儀式の再興・復古を図ります。平安時代の研究を進め、平安京内裏を再現しようと試みましたが、建築の設計を担当した大工たちが平安時代の構造や技術がわからず、江戸時代の方法で建てたため、このような意匠となったと考えられます。
 京都御所の紫宸殿は、国賓を迎える時にも使われる格式高い建物ですが、平安時代への復古デザインと当時の研究の限界が感じられる、おもしろい建築となっています。
 
 謎の3は次号にします。

 月刊「茶の間」より引用しました。

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5.私の小さな旅 その25 日帰りのバスツアー
                        今茨木童子

 鳥取県の花回廊と島根県 足立美術館を訪ねて
 日帰りのバスツアーで山陰に行った時の話です。MBS毎日放送の近くの観光バス発着場に朝早くから行き、ツアーの参加者確認のチェックを受けて、バスの到着を待ち、出発。新御堂筋を北上、中央環状線から中国縦貫自動車道に入り、美作落合(ミマサカオチアイ)ジャンクションから米子道(ヨナゴドウ)に入り、蒜山(ヒルゼン)高原で一旦高速を降り、昼食を食べました。もちろん、蒜山(ヒルゼン)焼そばつきです。また、高速に入り最初の立ち寄り先「花回廊」に向かう。中に入って回廊を巡りながら、中心にある直径25mの温室に入りました。中は「蘭」フェアーで、薫り高い蘭の香りで満たされています。これなら、見えない者にも十分花は想像でき、香りを堪能しました。
 次は足立美術館です。日本有数の所蔵品で知られる同美術館ですが、残念なのはバリアフリーになっていないのです。私達視障者には階段はなんとかなりますが、車いすの人や足腰の弱い人にはお勧めできない館内の構造でした。それと、どんなに名解説が音声で聞けるとしても、私の想像力では描かれた名画は想像できませんでした。しかし、感嘆の声をあげながら鑑賞している人の声を聞くと、「ああ、美術館に来ているんだな」と、感じられるのがいいので、美術館や博物館を訪ね歩いています。

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6.大阪に関連すること いろいろ4

 今回のご登場は、大阪出身の「岡田さん」三人です。
 お一人目は、岡田彰布(あきのぶ)阪神タイガース監督。お二人目は、元サッカー日本代表監督の、岡田武史(たけし)さん。三人目は、アイドルグループV6の元メンバーで、俳優としてもご活躍の岡田准一(じゅんいち)さんです。

岡田 彰布(あきのぶ)
 1957年11月25日生まれ。大阪市中央区出身。
 阪神タイガース監督。今シーズン、セントラルリーグ優勝監督。

 大阪市中央区玉造(たまつくり)で「大阪紙工所(しこうしょ)」という町工場を経営していた父親は阪神の有力後援者で、幼少時よりタイガースと縁深く育った。
 東大阪市にある私立朝陽ヶ丘幼稚園、大阪市立愛日(あいじつ)小学校、明星(めいせい)中学校。1972年、3年生時に中学野球大阪府大会で優勝。
 北陽高校に進学。甲子園出場は果たせなかった。
 プロ入りせずに早稲田大学野球部のセレクションを受験、驚異的な打撃力を見せて一発合格を果たす。
 東京六大学野球リーグでは1976年秋季リーグから「7番打者・左翼手」としてレギュラーを獲得、大学野球の花形選手となった。
ドラフトでは当時史上最多となる6球団が岡田を1位指名したが、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得、岡田の阪神入団が決まった。契約金6,000万円、年俸480万円。
 今季のスローガンは、岡田監督が「優勝」を「アレ」と言い換えることで話題沸騰。
 2023年に再度阪神監督就任後に度々パインアメを愛用。製造元パイン(大阪市)によると、8月時点の近畿2府4県(大阪府・京都府・兵庫県・滋賀県・和歌山県・奈良県)での売り上げが前年比2倍だという。優勝直前に注文が殺到し、現在はオンラインでの商品注文を停止している。再開時期は「未定」で、同社は「うれしい悲鳴」としている。
 元サッカー日本代表監督の岡田武史とは同じ大阪市出身、同姓、早稲田大学の同級生、プロスポーツ監督。また、共にタイガースファンである。
 
岡田 武史(たけし)
 1956年8月25日生まれ。大阪市出身。
 日本の元サッカー選手。サッカー日本代表として国際Aマッチ24試合に出場。
 元日本代表監督。
 株式会社今治 夢スポーツ代表取締役会長。
 
 父は産婦人科医。岡田の子どものころは大阪でサッカーはほとんどやってなく、帝塚山学院小学校時代は野球少年だった。
 中学に進学すると、当時1968年メキシコシティーオリンピックでの代表チームの活躍で脚光を浴びたサッカーに熱中するようになる。中学時代には「ドイツに行ってプロになる」と言って両親を困らせた。
 大阪府立天王寺高等学校入学後もサッカーを続ける。同校は進学校でありサッカーではまったく実績がない高校だったが、練習試合での活躍がサッカー関係者の目に止まり、2年時に大阪選抜、次いで3年時にユース代表に抜擢。天王寺高では監督は試合の時しかいなかったため、日々の練習メニューは主将である岡田が考え実践していた。
 当時流行っていた五木寛之の小説『青春の門』の主人公に憧れ、早稲田大学を目指す。1浪後、早稲田大学政治経済学部に入学。
 早稲田大学卒業後、古河(ふるかわ)電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団し、日本代表選手にも選ばれる。 現役引退後は指導者としての道を選び、ジェフ市原のコーチを経て、1995年にサッカー日本代表のコーチに就任。1997年に日本代表監督に抜擢され、1998年のフランス大会(日本初出場)、2010年の南アフリカ大会(日本初のベスト16入り)と、2度のW杯を戦った。
 
岡田 准一(じゅんいち)
 1980年11月18日生まれ。大阪府枚方市出身。
 俳優、タレント、元歌手、武術家、柔術家。男性アイドルグループ・V6の元メンバー。
 妻は女優の宮アあおい。
 
 2013年4月から、出身地の枚方市に位置する遊園地・ひらかたパークのイメージキャラクター「スーパーひらパー兄さん」を務めている。
 数々の映画、テレビドラマに出演。その演技力は高く評価されている。

サピエに、以下の通りありますので、是非読んでみてください。

岡田 彰布(おかだ あきのぶ)
@  岡田彰布の「そらそうよ」、岡田彰布著、2009年
    点字 1巻
A  金本・阪神 猛虎復活の処方箋、岡田彰布著、2017年
    デイジー 1巻 
B  頑固力 ブレないリーダー哲学、岡田彰布著、2008年
    点字 全2巻 / カセット 全4巻 / デイジー 1巻
C そら、そうよ 勝つ理由、負ける理由、岡田彰布著、2008年
    点字 全3巻 / デイジー 1巻  
D なぜ阪神は勝てないのか? タイガース再建への提言、江夏豊(えなつ ゆたか)・岡田彰布著、 2009年
    デイジー 1巻
E プロ野球構造改革論(宝島社新書)、 岡田彰布著、2014年
    デイジー 1巻
F プロ野球史上最高の選手は誰だ?レジェンドOBが選ぶ「実力ナンバー1」決定戦、
張本勲(はりもと いさお)・江本孟紀(えもと たけのり)・岡田彰布ほか著、2019年
    点字 全4巻 / デイジー 1巻 / テキストデイジー 1巻

岡田 武史(おかだ たけし)
@  勝負哲学、岡田武史・羽生義治著、2011年
    点字 全3巻 
A 人生で本当に大切なこと 壁にぶつかっている君たちへ、王貞治・岡田武史著、 
 2011年
    点字 全2巻 / デイジー 1巻 
B リーダーの信念(風のCafe)、 聞き手 五木寛之(いつき ひろゆき)・冴木彩乃(さえき あやの)、稲盛和夫(いなもり かずお)・見城徹(けんじょう とおる)・岡田武史[述]、2014年
    点字 全2巻 / デイジー 1巻
C 私の分岐点 41回〜60回「The Big Issue Japan 抜粋記事」、ビッグイシュー日本編
    点字 1巻

岡田 准一(おかだ じゅんいち)
@ シネマデイジー 花よりもなほ、是枝裕和(これえだ ひろかず) 監督・脚本、タブラトゥーラ 音楽、岡田准一・宮沢りえ他 出演
    デイジー 1巻
A シネマデイジー 蜩ノ記(ひぐらしのき)、小泉堯史(こいずみ たかし) 監督・脚本、 葉室麟(はむろ りん) 原作、加古隆(かこ たかし) 音楽、役所広司(やくしょ こうじ)・岡田准一他 出演
    デイジー 1巻

※ シネマデイジーとは、映画本編の主音声を、登場人物の動きや場面、背景などの視覚情報を言葉で説明した音声解説とともに録音したものです。

岡田准一さんが主演した映画の図書
@ 図書館戦争、有川 浩(ありかわ ひろ)著
   シリーズ1 図書館戦争、2011年 
     点字 全6巻 / デイジー 1巻 / テキストデイジー 1巻
   シリーズ2 図書館内乱、2011年
     点字 全6巻 / デイジー 1巻
   シリーズ3 図書館危機、2011年
     点字 全5巻 / デイジー 1巻
   シリーズ4 図書館革命、2011年
     点字 全5巻 / デイジー 1巻
A 永遠の0(ゼロ)、百田 尚樹(ひゃくた なおき) 著、2009年
     点字 全7巻〜10巻 / デイジー 1巻 / カセットテープ 全11巻〜15巻 

                              このページの先頭へ

7.編集後記
                        上田 一裕

 大滝 龍さんの暮らしミニ情報の「日本の『すごい』を未来に 技術とデザインが出会う時」は、2018年にスタートした日本のブランド「LASTFRAME(らすと ふれーむ)」です。わこさんの、健康道場56は、「京都御所3つの謎」です。
 どうぞ、ご期待ください。
 いよいよ令和5年も暮れようとしています。年頭に立てられた目標は、達成されましたでしょうか。来る辰年は、昇竜のごとく、勢いよく悠々と過ごしたいものです。
 読者のみなさまには、どうぞご自愛ください。

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大阪府視覚障害者福祉協会

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